反面教師
父の定年 私の父親は都内の下町で小さな会社を営んでいました。私が中学に上がる頃まで順調だった事業は、その後低迷し、数年のうちに赤字操業に陥りました。景気の良かった時に手に入れたレジャーボートや会員制別荘の権利など換金出来るものを処分して会社の延命を図りましたが、もう打つ手は残っていませんでした。 高度成長期と共に歩んできた父親は、働いていればそのうち事業も上向いてくると考えていたため、深手を負う前に出口を探すと言う選択肢が頭に無く、私が就職直後に会社を畳むよう促した時には、普段感情を露わにするようなことが無かった父は顔を紅潮させてそれを拒みました。 しかし、最初の不渡りを出した時、銀行取引が出…